随分前から広島・長崎の原爆は地上起爆だと公然と言われていた。
当時から湯川秀樹 理化学研究所の仁科 という名前がバンバン出ていた。
友人に言っても全く聞く耳を持たずでした。
あまりの閃光でマグネシウム爆弾だったのでは?とも・・・
水素爆弾の弾頭にマグネシウムをくっつける とか聞いていても私にはさっぱりわかりません。
B29には爆弾を積むことは無理と 当時のアインシュタインがアメリカ大統領ルーズベルトに手紙を書いている。
内藤晴輔さんの話では爆弾を気球みたいなもので吊って運んだともあったね。あまりの衝撃でどんどん調べ出したが、なかなか記憶できない。
以下のツイッターで TOYOさんがポスト(ツイート)してありました。これを引用させてもらいます。
また、原子爆弾はもう一発、使われる予定でした。 しかし、なぜかそれは長崎から東京に持ち帰られ、保管されました。

私達日本人は本当に戦後75年ずーと騙され続けた。
いや 明治からですね。
明治200年計画というものがあったそうです。日本を無くす計画らしい。
追加のツイートです
さらに表示が消えているので
この爆撃機に、重さ約4トンもある原爆を搭載したとするのは、あまりにも無理がありますね。格納庫には入らないでしょう。
このように入力されています
もう支離滅裂状態の情報アップです。順番に見てください。
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