日本が「日本」と呼ばれるようになったのは、奈良時代からです。しかし、それ以前の日本に、2つの国が存在していたことはご存知でしょうか?ひとつは西の「倭国(大和国)」、もうひとつは大和国よりもはるか前に誕生していた東の「日高見国 (ひだかみこく/ひたかみのくに) 」です。
その国が誕生したのは、縄文時代です。日高見国は “日が高く昇る国” という意味です。
これこそが「日本」を象徴する国名なのです。出雲族の起源と日高見国についてお伝えしたいと思います。
クナト一族と出雲族
『出雲口伝 (いずもくでん) 』によれば、「出雲族」の起源は遥か南アジアに遡るとされています。
じつは、インドの中部に「クナ国」と呼ばれる小王国がありました。
この王国の王は「クナト王」と呼ばれていました。
出雲の旧家の伝承では、出雲族は今から約4000年以上前に、鼻の長い動物の住む国から東を目指して日本にたどり着いた「クナトの一族」であると伝えられています。
鼻の長い動物とは象であり、その国とはインドであると考えられます。
クナト一族は、インダス文明を築いたとされる「ドラヴィダ族」の系統を引き継いでおり、その特徴として、手足が長いという身体的特徴があったとされています。

今から4000年以上前、インダス文明が栄えていた頃、ドラヴィダ人は北方から侵入してきたアーリア人の圧迫から逃れるために、彼らは祖神の魂を宿す「勾玉 (まがたま) 」を携えて東方への大移住を決意しました。
クナト一族は家畜を連れてアムール川を下り、やがて海を超えて「津軽半島」にたどり着いたとされています。
そのクナト一族の移住が、後の日本の文化や政治にも影響を与えることになります。
画像はインダス文明遺跡

クナト一族が日本に上陸したのは、縄文時代でした。
東北にはアイヌ人が住んでいましたが、やがてクナト一族の勢力が強くなり、アイヌ人は北海道を中心に住むようになったと考えられます。
画像はクナトの神を祀る「佐爲神社」(島根県松江市)

「クナト一族は津軽半島に上陸したあと、三内丸山の地にしばらく住んでいた」と出雲に伝承されています。
このクナト一族は、東北の地に王国を築き上げたと考えられます。
それが最初の「出雲国」です。
「出雲王朝 (いずもおうちょう) 」は、公式には島根県東部に存在したとされていますが、じつは最初の「出雲国 (いずものくに) 」は東北だったのです。
これが後に、「日高見国 (ひだかみこく/ひたかみのくに) 」と呼ばれる王朝になったと考えられます。
画像は三内丸山遺跡(青森県青森市)

日高見国
日高見国は、『日本書紀』や神道の『大祓詞 (おおはらえのことば) 』に登場し、「日が昇る、高く輝く国」を意味します。
『大祓詞』の中に、「大倭日高見国 (おおやまとひたかみのくに) を安国と定め奉りて」と書かれています。
大倭日高見国は一つの国ではありません。
大倭は「大和国 (倭国) 」のことです。
つまり、日本には「大和国」と「日高見国」という2つの大きな国があったことを表しています。
奈良や京都を中心とする西日本が「大和国」だとすると、関東・東北を中心とする東日本が「日高見国」ということになります。
画像は大祓詞

じつは、北上川の古い呼び名は「日高見川 (ひたかみがわ) 」であり、この一帯の地域には「日高神社」が数多く存在します。
宮城県石巻市と長野県中野市には「日高見神社」があります。
また、北海道にも「日高山脈」や「日高地方」「日高町」という名前が付けられた場所がありますね。
画像は北上川

かつては飛騨山脈を超えたあたりから、日高見国が広がっていたと考えられます。
この「飛騨」(岐阜県北部) という地名も、日高見から来ているとされています。
北上川流域(現在の宮城県・岩手県あたり)や茨城県の鹿島神宮、関東地方を中心として全国にある香取神宮の一帯、仙台、三内丸山遺跡のある青森県、さらには北海道も日高見国の中心地であったようです。
画像は飛騨山脈(北アルプス)

じつは、興味深いことに、出雲と東北地方には言語や文化的な共通点が見られることがわかっています。
また、出雲伝説に登場する神々や民族が、東北地方と共通する特徴を持っていることもあり、出雲族が東北地方から後の出雲国に移住してきたことがわかります。
さらに、出雲の王が代々「クナトノ大神」と呼ばれていたという伝承もあります。
画像は島根県風土記に登場する出雲国の村々

クナト神と「サイノカミ」信仰
「クナ王朝」は出雲に渡来した王族の系統と伝えられており、その祖神が道案内や境界を司る神として知られる「クナト神 (クナトノカミ) 」です。
クナトノカミは、出雲口伝では国を開いた「建国の祖」とされています。
今の出雲を築いたのは、大国主命よりもはるか以前、クナトノカミ率いる一族だったと伝えられています。
口伝では、彼らは「ドラヴィダ族」だったとされています。
紀元前660年頃、神武天皇の即位と同じ時期に、もう一つの王国がこの地に興ったという伝承が残されています。
口伝によれば、ドラヴィダ人が持ち込んだ文化には「龍蛇信仰」、「太陽信仰」、そして高度な金属精錬技術がありました。
※クナト一族の詳細については、「出雲族の真実 / 出雲口伝 2」をご覧ください。

クナト一族が日本に上陸したのは、縄文時代でした。
東北や北海道には、「アイヌ民族」や「ブリヤート人」が先住民として暮らしていました。
東北にはアイヌ人が住んでいましたが、やがてクナト一族の勢力が強くなり、アイヌ人は北海道を中心に住むようになったと考えられます。
ブリヤート族


出雲族の宗教観は、インドの宗教に強い影響を受けていました。特に重要なのは、「サイノカミ」と呼ばれる三柱の神々です。
父神「クナトノ大神」、母神「幸姫 (サイヒメ) 」、そして御子神である「猿田彦大神」の三神は、子孫繁栄や縁結び、子宝を司る神として信仰され、出雲族の祭祀において中心的な役割を担いました。


また、出雲王国では「龍蛇神信仰」も重要な位置を占めていました。
龍蛇神は元々、インドの地域で信仰されていた森の神「コブラ」と、川の神「ワニ」を象徴としていました。

インドのコブラやワニを神として崇める伝統は、出雲の家紋「亀甲紋」にその痕跡が残っています。
クナト一族である出雲族は、鉄の生産技術である「タタラ」を持っており、その技術は出雲の地で発展しました。
出雲族は女性優位社会
出雲族は非常に特異な社会構造を持っていました。
それは「女性優位社会」という形態であり、女性が家庭内の食事や財産の管理を行い、後継者も女系の家系から選ばれていました。
この社会構造は、世界各地の古代文明でも類似の事例が見られ、エジプトやシュメール文明でも、男性は統治者として存在する一方で、祭祀を司るのは女性であり、後継者も女系家族から選ばれることが一般的だったのです。
前回の「国譲り / 出雲口伝 1」でも、出雲国では統治王と祭祀王の2人1組で国を治めるということをお伝えしていたとおりです。
また興味深いのは、彼らの身体的特徴です。
口伝では、彼らは手足が長い体型だったとされており、その姿は妖怪「手長足長」や、八岐大蛇伝説に登場する「櫛名田比売 (クシナダヒメ) 」の両親の「手名椎 (てなづち) 」「足名椎 (あしなづち) 」、さらには神武東征の敵将「長髄彦 (ナガスネヒコ) 」の名にもなっていると考えられます。

『正統竹内文書』では、古代日本は「大和族」「出雲族」「ユダヤ(秦氏)」の三部族が融合して出来た国だと伝えています。
三つ巴紋や三つ葉葵紋も、それら三部族を表しており、それぞれ「アマテラス」「スサノオ」「ツクヨミ」とも言い換えられます。
後はTOYO NOTEさんからご覧ください。是非1と2を合わせて見て下さい。田中英道先生も日高見国についてお話されていました。突然亡くなられたので、都合が悪かったのかしら・・・




