日本のフェミニストから「朝鮮では女性は結婚しても名字が変わらない」と賞賛されたが、「いや、実は朝鮮の女性には名前がない」とは言えなかった。

■日本が朝鮮を統治するまでは、朝鮮の女性には名前がなかった。
尹学準 著『韓国両班騒動記』より
日本のフェミニストから「朝鮮では女性は結婚しても名字が変わらない」と賞賛されたが、「いや、実は朝鮮の女性には名前がない」とは言えなかった。
良妻賢母として5万ウォン札の肖像になった申師任堂の師任堂は号であり、名前は知られていない。
また、族譜(系図)は男系中心なので女性の名前はない。
著者の欄には「子学準、字(あざな)建相、壬申2月6日、配安東金氏」と、配偶者は安東金氏から娶ったとしか書かれていない。
娘2人の名前もない。(男子なら記載されていた)
子供の頃は幼名、結婚すると宅号(テッコ/出身地名+”宅”)で呼ばれたので名前が必要なかったそうです。
故 崔吉城教授(1940年)の母も生前は宅号で呼ばれており、死去後、戸籍を取り寄せたら名前がなかったと本に書いていました。
★朝鮮半島で戸籍に女性の姓名が記載される様になったのは日本統治によるもの。






宣教師の日記に記された朝鮮時代の女性
内宅で女の子が大声で泣いていた。 なぜそんなに泣くのかと尋ねてみると、 「夫の家に嫁がされる花嫁の泣き声だ」ということだった。
その子はあまりにも幼かった。 彼女が知っていることといえば、 見知らぬ男の妻になることが 朝鮮のしきたりだという事実だけだった。
子供が泣き続けながら駕籠に乗せられていくのを見ても、 両親たちはまるで売り飛ばされる 家畜の鳴き声のようにしか感じていないようだった。
ああ、なんと非情な風習だろう。
この無垢な子供を暗い夜の中に投げ出すこの風習は、 一体誰のためのものなのか?
両親たちは「娘」たちを家族だとは思っていない。 最も有利に処分できる時まで、
ただの荷物のように抱え込んでいるだけだ。
たいてい12歳になる前には嫁に出され、 わずかな金銭でもその女の子を手に入れることができた。
彼女たちは事実上、奴隷同然だった。
主よ、どうかこの国の少女たちに光と自由をお与えください。
―宣教師 ジェイコブ・ロバート・ムース―
朝鮮は、飢え死にした死体がそこら中に転がっていた国だったという事実を、韓国の教科書は徹底的に隠しています。
朝鮮末期の李氏朝鮮は、繰り返される深刻な飢饉により、多くの人々が飢え死にする状況にありました。
朝鮮王朝実録などの歴史記録によれば、飢饉の被害は甚大で、人口が大幅に減少した時期もあったとされています。
さらに、李氏朝鮮では同民族による世襲の奴隷制度(奴婢制)が長く続き、支配層による搾取が民衆の生活を圧迫していました。
これにより、どれだけ働いても豊かになれず、飢えが慢性化する構造でした。
しかし、第二次日韓協約以降、日本による近代化政策(衛生・医療・農業の改善など)を通じて、これらの惨状は徐々に改善されていきました。
当時の朝鮮民衆の中には、こうした変化を目の当たりにし、封建支配からの脱却を求めて日韓合邦を支持する動きも記録されています。
一方、韓国の国史教育では、これらの事実をほとんど取り上げず、「輝かしい国が日本によって強奪・搾取・虐殺された」という一面的な歴史観のみを強調し続けています。
このような教育を受けた国民が、客観的な歴史認識を持ち、健全な国際関係を築くことは難しいのではないでしょうか。



一つの民族として、朝鮮人には未来がない。
その気質において、守るに値する要素は一つもない。
中国人のような忍耐力を持っているか?
いや、持っていない。
日本人のような武士道精神と民族的誇りに満ちているか?
いや、満ちていない。
たとえ汚くとも、中国人のように勤勉か?
いや、勤勉ではない。
たとえ怠け者であっても、アメリカ・インディアンのように勇敢か?
いや、勇敢ではない。
たとえ狡猾であっても、機敏で商才に長けているか?
いや、長けていない。
単純でも、正直で心が開いているか?
いや、開いていない。
要するに、野蛮人より優れた点すらない野蛮人だ。
儒教と専制主義が、上下から石臼のように人を圧し、
人を獣よりも優れた存在にするあらゆる気質を根こそぎ奪い去ってしまった。
日本はこれまで、朝鮮人たちが自ら改革するよう放っておいた。
しかし、彼らに改革への意志も能力もないことを見て、
日本は彼らの手綱を自らの手に収めることを決意したようだ。
もし私が日本人であったなら、
私は他に何もできなかっただろう。
(朝鮮人を)世話するか、殺すか。
― 尹致昊 日記 1894年11月1日
どうも朝鮮人を蔑むような記事ばかり揚げてきました。きっと気分を悪くする人たちもおられるでしょう。でも実際に揚げられている情報は事実です。
どんどん宇山卓栄さんは発信されています。


